オランダに移り住むと、遅かれ早かれ税金の話に向き合うことになります。給与から何が引かれているのか。日本に残した口座や不動産はどうなるのか。日本にも申告が必要なのか。二重に取られたりしないのか。
やっかいなのは、この問いが「オランダの税制」だけを調べても解けないことです。オランダ側の制度、日本側の制度、そして両国をつなぐ租税条約。この3つを並べて初めて、自分の立ち位置が見えてきます。
この記事では、その3つを順番に整理します。数字は2026年時点のものを使いますが、税制は毎年動くため、実際の判断は必ず最新情報と専門家の確認のうえで行ってください。
先に結論
押さえるべき点は4つです。
第一に、すべての起点は「自分がどの国の税務上の居住者か」です。この判定が変われば、課税される所得の範囲そのものが変わります。
第二に、オランダの居住者は全世界所得が課税対象です。加えて、日本に置いたままの預金や株式も、オランダの資産課税(ボックス3)の対象になります。
第三に、日本側の納税義務は、住民票を抜いただけでは自動的にゼロになりません。国内源泉所得があれば申告義務は残り、出国のタイミングによっては住民税も課されます。
第四に、二重課税は放っておいても解消されません。租税条約は存在しますが、適用を受けるには手続きが必要です。
以下は、その中身です。

Erik Wannee / CC0 — Wikimedia Commons
第1部:オランダの税制のしくみ
1. まず居住者かどうか
オランダの税制は、居住者と非居住者を明確に区別します。
居住者と判定されるには、オランダと十分に永続的・継続的なつながりを持っていることが必要です。判断材料になるのは、滞在の状況と期間、家族を帯同しているかどうかなど。実務では、こうしたつながりは比較的早い段階で認定され得ると考えられています。
判定の結果は決定的です。
オランダの税務上の居住者は、全世界所得に対してオランダで課税されます。他国での貯蓄や投資から生じる所得も含まれます。その代わり、扶養手当の支払いや、主たる住居の住宅ローン利子といった控除も使えます。
一方、非居住者はオランダ国内源泉所得にのみ課税され、一般的な税額控除は制限されます。
2. 3つのボックス
オランダの個人所得税は、所得の種類によって3つの箱に分けられます。それぞれ別々に計算し、最後に合算します。
- ボックス1:雇用所得、事業所得、主たる住居からの所得
- ボックス2:実質的株式所有(持分5パーセント以上)から生じる所得
- ボックス3:貯蓄および投資から生じる所得
日本の税制に慣れていると、ボックス3の考え方が最も理解しづらいところです。順に見ていきます。
3. ボックス1:給与と事業所得
累進課税です。2026年時点の税率は次のとおりです。
- 0ユーロから38,883ユーロまで:35.75パーセント
- 38,883ユーロから78,426ユーロまで:37.56パーセント
- 78,426ユーロ超:49.50パーセント
注意したいのは、第1区分の35.75パーセントには社会保険料が含まれている点です。第2区分と第3区分には社会保険料は課されません。つまり、日本の「所得税+住民税+社会保険料」に相当するものが、低所得帯では一体で徴収される構造になっています。日本の所得税率だけと比べて「高い」と判断するのは正確ではありません。
なお、AOW(老齢年金)受給年齢に達している人は、第1区分の合算税率が17.85パーセントになります。AOW保険料の負担がなくなるためです。第2区分と第3区分の税率は変わりません。また、1946年1月1日より前に生まれた人は、第1区分の上限が41,123ユーロになります。
もうひとつ、主たる住居がボックス1に入る点も日本と異なります。持ち家の場合、みなし賃料相当額(eigenwoningforfait)を所得に加算する一方、住宅ローンの利子を控除できます。賃貸に住んでいる間は関係ありませんが、オランダで家を買う段階になると影響の大きい論点になります。
4. ボックス2:会社の持分がある人
自分の会社や特定の会社の株式を5パーセント以上保有している場合、そこから生じる配当や譲渡益はボックス2に入ります。
2026年時点の税率は、68,843ユーロまでが24.5パーセント、それを超える部分が31パーセントです。
実質的株式の保有とみなされるのは、発行済株式の5パーセント以上を持っている場合のほか、5パーセント以上を取得できるオプションを持っている場合、年間利益の5パーセント以上を受け取れる利益分配証書を持っている場合、議決権の5パーセント以上を持っている場合などです。パートナーとの合算で判定される点にも注意が必要です。
オランダでBVを設立して事業を行っている人にとっては、給与(ボックス1)と配当(ボックス2)のどちらに所得を配分するかが実務上の論点になります。ただしオランダには「みなし賃金」のルールがあり、自由に配分できるわけではありません。
5. ボックス3:日本人が最も驚くところ
ここがオランダ税制の特徴です。
ボックス3の対象は、銀行預金、5パーセント未満の株式、主たる住居以外の不動産などです。そしてこれらに対して、実際にいくら儲かったかではなく、みなし収益に対して課税されます。
2026年時点の暫定値では、資産の種類ごとに次のみなし収益率が使われます。
- 銀行預金:1.28パーセント
- その他の資産(株式・不動産など):6.00パーセント
- 借入:2.70パーセント(上記のみなし収益から控除)
その年の1月1日時点の資産評価額にこの率を掛け、算出されたみなし収益に対して36パーセントの税率が適用されます。非課税枠(heffingsvrij vermogen)は、2026年時点で1人あたり59,357ユーロ、税務上のパートナーがいる場合は合計118,714ユーロです。
数字の扱いには注意が必要です。2025年9月に発表された当初の2026年度税制案では、その他資産のみなし収益率を7.78パーセントに引き上げ、非課税枠を51,396ユーロに引き下げる方針が示されていました。しかし議会での修正により、いずれも撤回されています。この経緯があるため、古い記事や年内前半に発行された予備査定には旧案の数字が残っていることがあります。予備査定に7.78パーセントや51,396ユーロが使われている場合は、新しい予備査定を申請するか、最終査定での調整を待つことになります。
また、みなし収益率のうち確定しているのは「その他の資産」の6.00パーセントだけです。銀行預金と借入の率は年間平均に基づいて決まるため、2026年分の確定値が出るのは2027年初頭です。上記の1.28パーセントと2.70パーセントは暫定値です。
日本の感覚との違いは2点あります。
ひとつは、利益が出ていない年でも課税され得ること。日本では株式で損が出た年に譲渡益課税は発生しませんが、ボックス3は残高ベースなので、運用が振るわなかった年でも税額が発生します。
この点は法的に長く争われてきました。2021年12月のいわゆるクリスマス判決以降、最高裁がみなし課税のあり方を繰り返し問題視し、2025年7月1日には反証制度に関する法律(Wet tegenbewijsregeling box 3)が施行されています。実際の収益がみなし収益を下回ることを示せれば、実際の収益に基づいて課税されます。手続きには専用の申告書(Opgaaf werkelijk rendement)を使い、ブローカーの年間報告書や銀行明細といった裏付け書類が必要です。
ただし、この反証制度で計算する「実際の収益」には未実現の評価益も含まれます。売却していない株式や不動産の含み益も算入されるため、必ずしも有利になるとは限りません。計算してから判断する必要があります。
もうひとつは、対象がオランダ国内の資産に限られないこと。日本の銀行に置いたままの預金も、日本の証券口座で保有している株式や投資信託も、オランダ居住者であれば申告対象になります。「日本の資産だからオランダには関係ない」という理解は誤りです。
なお、現行のみなし課税は過渡的な制度(Overbruggingswet)と位置づけられています。政府は実際の収益に基づく新制度を2028年1月1日に導入する方針で、関連法案は2026年2月に下院を通過し、上院での審議に進んでいます。ただし修正の可能性が示唆されており、施行時期が動く余地は残っています。新制度では未実現の含み益にも課税が及ぶ設計が議論されており、長期保有を前提とする投資家にとっては影響の大きい変更です。動向は継続して確認する必要があります。
参考までに、非居住者の場合は、オランダ国内源泉と判断される資産(オランダ所在の不動産など)だけが対象です。オランダの銀行口座は、一般にオランダ国内源泉所得とはみなされません。
6. 申告の実務
年間のサイクルは次のようになっています。
申告受付は毎年3月1日に始まります。税務当局(Belastingdienst)から申告案内が届くか、必要に応じて自主的に申告します。
申告はオンラインで行い、デジタル認証IDであるDigiDが必要です。DigiDの取得には住民登録が前提になるため、渡航後の早い段階で手続きを済ませておくことになります。
提出期限は原則として翌年の5月1日です。たとえば2025年分の所得は2026年5月1日まで。期限内に申請すれば、通常は9月1日まで延長が認められます。期限を過ぎると罰金や税務利息が課される可能性があります。
提出後、税務当局が査定を行い、納税額または還付額が決まります。通常は数か月から1年程度ですが、法律上は最長3年間にわたって最終査定を行うことができます。
見込所得に基づく予備査定(voorlopige aanslag)を自分から申請することもできます。年度中に分割で納めておくことで、最終査定時にまとまった支払いが発生するのを避けられます。フリーランスや事業所得のある人にとっては、資金繰り上ほぼ必須の仕組みです。
査定内容に納得できない場合は、査定書の発行日から6週間以内に異議申立てができます。この6週間は短いので、書類が届いたら放置しないことです。
7. 30パーセントルーリングの現在地
外国から採用された人材向けの優遇税制、いわゆる30パーセントルーリングは、この数年で制度変更が続いています。2025年からは公式名称も「expatregeling(エキスパット制度)」に変わりました。
適用の基本条件は、給与の最大30パーセントを非課税手当として支給できること、期間は最長5年、申請は勤務開始から4か月以内に雇用主と共同で行うこと、そして採用時にオランダ国境から150キロ超の場所に居住していたことです。過去25年以内にオランダに居住・勤務していた期間があると、その分だけ5年から差し引かれます。
2026年の数字は次のとおりです。
- 非課税手当率:30パーセント
- 給与要件:課税給与48,013ユーロ以上(30歳未満で修士号保持者は36,497ユーロ)
- 上限:報酬基準法(WNT)の上限262,000ユーロまでが対象
2027年1月1日からは、非課税手当率が一律27パーセントに下がります。当初は30パーセント、20パーセント、10パーセントと段階的に縮小する案が2024年に導入されましたが、これは撤回され、一律27パーセントに置き換えられました。給与要件も引き上げられ、2024年価格ベースで50,436ユーロ、30歳未満の修士号保持者は38,388ユーロとされています(毎年の物価調整が入ります)。
なお、2023年12月時点ですでに制度を利用していた人には経過措置があり、残りの期間も30パーセントと従来の給与基準が維持されます。つまり2027年以降は、適用開始時期によって3つの異なる扱いが並存することになります。自分がどの区分かは雇用主または税務アドバイザーに確認してください。
8. 見落としやすい変更:部分的非居住者ステータスの廃止
日本人居住者にとって、率の変更よりも影響が大きい可能性があるのがこちらです。
かつて30パーセントルーリングの適用者は、「部分的非居住者(partiële buitenlandse belastingplicht)」を選択できました。オランダに住んでいながら、ボックス2とボックス3については非居住者として扱われる、という制度です。これを選べば、国外の預金や株式はオランダのボックス3課税の対象外になっていました。
この選択肢は2025年1月1日をもって廃止されました。
経過措置はありますが、対象は限定的です。2023年12月の給与計算時点ですでに制度を利用していた人に限り、2026年課税年度まで部分的非居住者ステータスを選択できます。2027年からは、すべてのルーリング適用者が、居住者として全世界のボックス2・ボックス3所得を申告することになります。
つまり、2024年以降にオランダに来た人は、すでに日本の預金や証券をボックス3で申告する必要があります。そして経過措置の対象者も、2026年が最後の年です。「30パーセントルーリングがあるから国外資産は関係ない」という以前の理解は、もはや通用しません。
なお、2026年からは、追加生活費(ガス、水道、電気など)に対する控除や、母国への私用電話に関する追加費用控除が廃止されるなど、周辺の措置も縮小が進んでいます。
9. 所得税以外にかかるもの
税率表だけを見ていると見落とすコストがあります。
健康保険料 オランダに居住する人は、基本健康保険(basisverzekering)への加入が義務です。住民登録日から4か月以内に、自分で保険会社とプランを選んで加入します。保険料は保険会社ごとに設定され、これは税金とは別に毎月支払います。加えて、年間の自己負担額(eigen risico)があります。所得が一定以下の場合は医療手当(zorgtoeslag)が受けられます。
地方税 市町村(gemeente)と水管理局(waterschap)にも税金を払います。持ち家であれば不動産税(OZB)、賃貸でも廃棄物処理税(afvalstoffenheffing)や下水道税、水管理局税がかかります。金額は自治体によって異なりますが、家計への影響は無視できません。
手当(toeslagen)との関係 医療手当、住宅手当(huurtoeslag)、保育手当(kinderopvangtoeslag)などは、所得と資産に応じて支給されます。ここでポイントになるのが、ボックス3の資産額が受給資格に影響することです。日本に資産を残している場合、それが原因で手当の対象外になることがあります。また手当は概算で先に支給され、後から精算されるため、所得が増えると返還が発生します。
10. 移住した年と離れる年の申告
オランダに来た年、またはオランダを離れる年は、1年の途中で居住者と非居住者が切り替わります。この場合は通常の申告書ではなく、移住年用の申告書(M-biljet、いわゆるMフォーム)を使います。
Mフォームは通常の申告よりも複雑で、オンラインで完結しない場合もあります。移住初年度は税務アドバイザーに依頼する人が多いのは、このためです。
11. フリーランス(ZZP)の場合
個人事業主として活動する場合、自営業者控除(zelfstandigenaftrek)が使えますが、この控除は段階的に縮小されています。2025年の2,470ユーロから、2026年には1,200ユーロへと大きく縮小されました。
また、事業を行う場合はVAT(BTW)の登録と申告が発生します。標準税率は21パーセント、食料品や書籍、理髪、タクシーなどは9パーセントです。ホテルやホリデーホームなどの短期宿泊施設は軽減税率が廃止され、2026年1月1日から21パーセントになりました。
第2部:日本側に残る納税義務
オランダに住み始めた時点で、日本の税金とは無関係になる。これは、最もよくある誤解です。
1. 居住者判定は住民票では決まらない
日本の所得税法上の居住者・非居住者の判定は、住民票の有無ではなく「生活の本拠」がどこにあるかという実態で行われます。住居の状況、職業、資産の所在、家族の居住地、滞在日数などを総合的に勘案して判断されます。
よくある誤解が「183日ルール」です。183日という数字は、主に租税条約上の短期滞在者免税の文脈で登場するもので、短期出張者のための特例です。国外に183日以上滞在すれば自動的に非居住者になる、というルールではありません。実際、国外の住居に年間250日以上滞在していても、その他の事情から日本の居住者に該当すると判断された事例があります。
逆に、住民票を抜いたからといって非居住者になるわけでもありません。家族が日本に残っている、日本の事業の意思決定を日本で行っている、といった事情があれば、居住者と判定される可能性があります。
2. 非居住者でも日本で課税される所得がある
非居住者になったとしても、日本国内源泉所得があれば日本で課税されます。典型的なのは次のようなケースです。
- 日本国内の不動産を賃貸している
- 日本法人から役員報酬を受け取っている
- 日本国内の不動産を売却した
- 日本企業から業務委託報酬を受け取っている(役務提供地や所得の性質によって扱いが分かれます)
これらがある場合、日本で確定申告が必要になります。
3. 納税管理人の選任
非居住者が日本で確定申告を行うには、代行してくれる存在が必要です。これを納税管理人と呼びます。
重要なのは、納税管理人の選任手続きは原則として出国前に行うという点です。出国してから「やっぱり必要だった」と気づくと、手続きが煩雑になります。日本に不動産を残す予定がある人、日本法人の役員を続ける人は、渡航前に必ず検討してください。
4. 住民税は1月1日で決まる
住民税の賦課期日は、その年の1月1日です。
つまり、1月1日時点で日本に住所(住民票)があれば、その年度の住民税が課されます。前年の所得に対して課税される仕組みなので、年末に出国した人と年始に出国した人とで、負担が大きく変わることになります。
所得税法上はすでに非居住者と扱われる状況でも、1月1日時点で住民票を除票していなければ住民税の納税義務者になり得る、という点は押さえておいてください。出国時期の調整が可能なら、この点は無視できません。
5. 国外転出時課税(出国税)
一定規模の有価証券等を保有している人が国外転出する場合、未実現のキャピタルゲインに対して課税される制度があります。2015年7月1日から適用されています。
対象となるのは、国外転出時に1億円以上の有価証券等を保有しており、かつ国外転出の日前10年以内に国内に住所または居所を有していた期間の合計が5年を超える人です。対象資産には、有価証券や匿名組合契約の出資持分のほか、未決済のデリバティブ取引などが含まれます。
未実現の利益に課税されるため納税資金が不足する可能性に配慮して、納税猶予の制度も設けられています。
また、この制度は本人が出国する場合だけでなく、国外に居住する親族等へ贈与・相続・遺贈によって対象資産を移転する場合にも適用されます。
該当する可能性がある人は、渡航計画の初期段階で税理士に相談すべき論点です。
6. 相続税・贈与税という別の軸
所得税とは別枠で考えなければならないのが、相続税と贈与税です。
日本の相続税・贈与税では、被相続人(贈与者)と相続人(受贈者)それぞれについて、日本国内に住所があるか、日本国籍を有するか、そして過去に日本国内に住所を有していた期間がどれくらいかによって、課税される財産の範囲が変わります。2017年度および2018年度の税制改正で、この範囲は大きく見直されました。
大まかな考え方として、日本を離れてからの経過期間が一定の年数を超えているかどうかが分岐点になります。ただし、双方の状況を組み合わせて判定するため、片方が日本に住んでいれば国外財産も課税対象になるなど、結論は個別事情で変わります。
さらに、オランダ側にも相続税(erfbelasting)と贈与税(schenkbelasting)があります。日本とオランダの間には所得税に関する租税条約はありますが、相続・贈与に関する条約は締結されていません。つまり、所得税で使えるような条約上の調整の仕組みが、相続・贈与では使えないということです。
親からの資金援助を受ける予定がある人、日本に不動産や事業を持つ親族がいる人は、移住前に日本とオランダ双方の専門家に確認しておくべき領域です。ここは記事レベルの一般論では判断できません。
7. 情報は共有されている
CRS(共通報告基準)により、海外口座の保有者情報、口座残高、利子・配当の年間受取総額などが、各国の税務当局間で自動的に交換される仕組みが動いています。
「海外に口座を作れば見えない」という発想は、すでに通用しません。むしろ、海外口座情報と申告内容の不整合が、居住者判定をめぐる調査の端緒になるケースがあります。

Choinowski / CC BY-SA 4.0 — Wikimedia Commons
第3部:租税条約による二重課税の回避
1. 日蘭租税条約の位置づけ
日本とオランダの間には租税条約があります。現行の条約は2010年8月25日に署名され、2011年12月29日に発効、2012年1月1日から適用されています。1970年に締結された旧条約を全面的に改正したものです。
改正の柱は、投資所得(配当、利子、使用料)に対する源泉地国課税の軽減または免除、条約の濫用防止規定の導入、両国で課税上の扱いが異なる事業体に関する規定、そして相互協議手続への仲裁規定の導入です。仲裁規定は、日本の租税条約としては初めて導入されたものでした。
日本が締結している租税条約では、日本側の対象税目として基本的に所得税、法人税、住民税が含まれます。相手国側が地方税を含めるかどうかは条約ごとに異なるため、個別の確認が必要です。
2. 双方居住者になったときのタイブレーカー
日本とオランダの両方で居住者と判定されてしまう状態を、双方居住者といいます。国ごとに判定基準が異なるため、実際に起こり得ます。
この場合、条約のタイブレーカー・ルールによって、どちらの国の居住者として扱うかを決めます。判定は次の順序で進みます。
- 恒久的住居がどこにあるか
- 利害関係の中心(人的・経済的関係がより密接な国)はどこか
- 常用の住居はどこか
- 国籍はどちらか
これでも決まらない場合は、両国の権限ある当局による相互協議で解決します。
典型的に問題になるのは、日本に住居や家族を残したままオランダに移った場合です。申告期限の直前になって発覚することが多い、実務上の難所とされています。渡航前に、日本側とオランダ側の双方で扱いを確認し、どちらを居住地国として申告するかを早期に決めておくのが安全です。
3. 条約は自動的には適用されない
ここが最も見落とされやすい点です。
租税条約による源泉税の軽減や免除を受けるには、「租税条約に関する届出書」の提出が必要です。提出がなければ、通常どおりの税率で源泉徴収されます。日本の場合、非居住者への支払いには原則20.42パーセントが源泉徴収されます。
届出書の提出期限は、原則として支払日の前日までです。書式は所得の種類によって異なり、配当、利子、使用料などでそれぞれ様式が分かれています。
期限に間に合わなかったからといって直ちに適用不可能になるわけではありませんが、手続きが済むまでは高い税率で源泉徴収され、還付を受けるには還付請求という追加の手続きが必要になります。取引先に署名を依頼する時間も要るので、余裕を持って動くのが実務的です。
4. 外国税額控除
条約で源泉地国にも課税権が認められている所得については、両国で課税が発生します。この場合、居住地国側で外国税額控除を適用して調整します。
つまり、二重課税の排除には2つのルートがあります。ひとつは条約によって源泉地国の課税自体を軽減・免除する方法。もうひとつは、いったん両国で課税されたうえで居住地国の外国税額控除によって調整する方法です。どちらになるかは所得の種類によって変わります。
第4部:よくある誤解の整理
「住民票を抜けば日本の税金は終わり」 違います。判定は生活の本拠という実態で行われ、国内源泉所得があれば申告義務は残ります。1月1日時点の住民票の有無によって住民税も発生します。
「183日を超えて海外にいれば非居住者」 違います。183日は短期滞在者免税の文脈の数字です。滞在日数は重要な要素のひとつですが、それだけで判定されるわけではありません。
「日本の口座はオランダには関係ない」 違います。オランダ居住者は全世界所得が課税対象で、日本の預金や証券もボックス3の対象になります。
「損をした年は税金がかからない」 ボックス3については違います。みなし収益に基づく課税なので、運用が振るわなかった年でも税額が発生し得ます。実際の収益が下回る場合の反証制度はあります。
「30パーセントルーリングがあれば国外資産は申告しなくていい」 かつては部分的非居住者を選択することで可能でしたが、この選択肢は2025年に廃止されました。限定的な経過措置の対象者を除き、国外の預金や株式もボックス3で申告が必要です。
「租税条約があるから二重課税は起きない」 条約は課税権を調整する枠組みであって、自動的に免除してくれる装置ではありません。届出書の提出や外国税額控除の適用といった手続きが必要です。
第5部:実務チェックリスト
渡航前
- 日本側で非居住者になるのか、実態として判断できるか整理する
- 日本に残す資産(不動産、証券口座、事業)を洗い出す
- 国内源泉所得が発生する見込みがあれば、納税管理人を選任する
- 出国時期と1月1日の関係を確認する(住民税の賦課期日)
- 有価証券等が1億円以上ある場合、国外転出時課税の該当可能性を税理士に確認する
- 日本の証券口座を非居住者のまま維持できるか、金融機関に確認する
- 相続・贈与の予定がある場合、日蘭間に相続税条約がないことを前提に事前相談する
渡航後
- 住民登録を行い、DigiDを取得する
- 住民登録から4か月以内に基本健康保険に加入する
- 給与所得者は、雇用主に30パーセントルーリングの適用可否と区分を確認する。申請は勤務開始から4か月以内
- フリーランスの場合、事業登録とVAT(BTW)の扱いを確認する
- 1月1日時点の全資産(日本分を含む)を把握できる状態にしておく
- 移住年の申告はMフォームになることを前提に、書類を整理しておく
- 予備査定(voorlopige aanslag)の申請を検討する
毎年
- 3月1日から申告受付開始、5月1日が提出期限(延長申請で9月1日まで)
- 1月1日時点の資産評価額をボックス3用に集計する(日本分を含む)
- みなし収益より実際の収益が低い場合、反証制度の適用を検討する
- 日本に国内源泉所得がある場合、日本側の確定申告も行う
- 予備査定に旧案の数字(7.78パーセント、51,396ユーロ)が使われていないか確認する
- 査定書が届いたら6週間以内に内容を確認する
- 税制変更(ボックス3の新制度、30パーセントルーリングの率と経過措置)の動向を確認する
まとめ
オランダの税制そのものは、3つのボックスという構造を理解してしまえば、決して複雑ではありません。難しいのは、日本側の制度との接続部分です。
そして、その接続部分で起きる問題のほとんどは、「知らなかった」ことに起因します。納税管理人を出国前に選任していなかった。1月1日をまたいで住民税が発生した。日本の資産をボックス3に申告していなかった。条約の届出書を出していなかった。いずれも、事前に知っていれば避けられた、あるいは軽くできたものです。
税制は毎年変わります。ボックス3は制度そのものが移行期にあり、30パーセントルーリングも率と期間の変更が続いています。この記事の数字も、来年には書き換えが必要になるはずです。
だからこそ、原則の構造を理解しておくことに意味があります。どの国の居住者か。どの所得がどの箱に入るか。どちらの国に課税権があるか。この3つの軸さえ持っていれば、細部が変わっても自分で調べ直すことができます。